演出を否定して、感動まで切り捨てないように気をつけて

2011.05.11

披露宴も終わりに近づいたころに読まれる「花嫁の手紙」。自分の声で録音したテープを流し、読めなくなるほど鳴咽してしまうと、「無理に人前でそこまでやらなくても」と感じることもあると思います。以前、私が担当したある披露宴でのことですが、司会者が「彼女から預かった手紙を代読させていただきます」という形で淡々と手紙を読み始めました。そこには結婚を前にして新婦がお母さまと行った旅行先での、女どうしの心の交流が綴られていました。それを聞いた方たちは、そこで初めて「こういう親子さんだったのか」としみじみと感じられたと思います。彼女自身は式の直前まで手紙に抵抗があったようなのですが、後日「省略しなくてよかった。あの手紙がなかったら、私も両親もお互いに深く感動することもない披露宴になってしまったかもしれない」と打ち明けてくれました。あれは嫌い、これも恥ずかしいと、事前にインプットされた印象だけで引き算をしてしまうと、感動までをどこかに置き去りにしてしまいます。披露宴というのは、楽しい宴であることはもちろん大事ですが、そのなかに「ああ、いい親子だなあ」という感動があることも、そこに出席した価値のひとつなのです。「お涙ちょうだい」は、確かに今の時代には似合いませんが、この「花嫁の手紙」に関しても、形を変えて大事にされるといいなと思います。