女が四年制の大学を卒業するのは二十二歳。産婦人科医の私の亡兄は、女は早くお産するほど異常出産が少ない、若いうちに結婚して、勉強したかったら四十になってしてもよいとよく私に言った。しかし今、四年生の大学に入る娘さんは多く、職場に入って仕事を覚え、それがおもしろくなったときは二十六、七歳になっている。晩婚のからだで結婚しても仕事をしたいという女のひとは、一九九三年六月の新聞報道で二六パーセントあり、八七年より八・一パーセント増えている。私は、男でもそうだが、大学に行き過ぎると思う。一昨年、ロンドンで、ウィーンで聞くと、大学を卒業するのは、百人のうちで数人とのことであった。あとは高校で社会にでる。今の高校は、昔の女学校の専攻科を出たくらいの教養を与えられる。戦前は小学校六年の上の女学校五年だけで結婚するものが多かった。男も中学五年だけで実務についた。大学は勉強の好きなひとだけが行けばいいのではないか。私は、男に働いてもらい、女は家の中で育児や家事をやればいいと思っている。一九九三年の総理府の調査でも「子どもができたら職場をやめ、大きくなったら、また職業をもちたい」と考えている女のひとが四五・四パーセントもいる。「夫は外で働き、妻は家を守る」と考えるひとは、男で六五パーセント、女で五五パーセントである。たまたま戦争で家が没落し、夫が経済的に成り立たぬ世界の仕事をしていたので、私が代わって外に出たが、外に出てよかったと思うより、出ないですめば家にいたいという思いの方が強かった。家にいて育児や家事のかたわらでもっと勉強したかった。私のように山登りや水泳の好きな女がそう思ったのである。何か男と女の本質はちがうのではないかと思う。男の方が外向きにできていて、女は内向きにできている。戦後間もなく四十代で亡くなった林芙美子は、家事より仕事一筋に生きたひとであった。夜中二時頃まで彼女が仕事をしている。隣室に絵描きの夫君が控えていて、芙美子が「お茶」と言えば「お茶」を、「おかゆ」と言えば「おかゆ」を用意したという。亡くなったあとで訪れると、夫君が言った。「僕は自分が絵を描くより、彼女に作品を書かせたかった」。なかなか、妻のために自分の仕事を捨てる夫には出会えないと思う。私はこの夫君を立派な男のひとだと尊敬した。夫婦ともどもに才能を賭けた仕事をしていて、離婚した例の幾つかを知っている。妻は作曲家で、夫はピアニストであった。家に二台のピアノがある。防音装置はよくしてあるのだけれど、夫の部屋を開けてそのピアノの音を聞くと、妻の作曲の音づくりが乱れ、妻が作曲に熱中しているとき、夫は自分のことは何もしてもらえないと嘆く。二人は別れた。もう一つの例は、夫婦とも俳優であり、女優であった。二人ともその劇団の幹部になり、重要な役をするようになって、二人は別れた。一緒の家の中に、必死になって役と取り組んでいる相手を見るのが辛くなったと言って。夫は女優でないひとと、妻は俳優でないひとと再婚し、二人はかつて夫婦であったという関係において、お互いを無二の親友と思っている。しかし、結婚生活だけは無理だと二人とも言っている。子どもは女が育て、かつての夫が、父としてときどき会いにいっている。林芙美子が、夫君の林緑敏氏のようなひとにめぐり会えたのは、「花のいのちは短かくて、苦しきことのみ多かりき」と書いた芙美子にとって最大の幸せではなかったろうか。
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